「お願いしたいことがあるんだけど」。南米からの帰り道に立ち寄った8年ぶりのニューヨークで、同じく8年ぶりに会う友人は私の顔を見るなり、こう切り出してきた。「私でできることなら何でもするけど」と答えると、「実は私たち夫婦で1ヵ月ぐらいイタリアへバカンスに行くのよ」という。「あ、犬と猫の世話? いいわよ。 えっ、店番もするわけ? できるかなぁ。まぁ、やってみるか」なんて言った瞬間、リトルイタリーにある友人の留守宅に転がり込んで犬1匹と猫2匹の世話をしながら、カバン屋の売り子をすることが決まっていた。
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彼女と初めて会ったのは、初めての海外1人旅の時。アメリカとカナダをグレイハウンド・バスで回っている最中だった。憧れのニューヨークに着いてグリニッジ・ビレッジの安宿にチェックインし、ぶらぶら歩きまわっていた時、道端でアクセサリーを売っているアジア系の女性が目に入った。女性というよりも女の子という感じ。杏里みたいな顔立ちをしている。日本人かな? 大学生の私よりも若そうだなぁと思って近づいて行ったら、彼女は漢字を打ち抜いたピアスを売っていた。「日本人ですか?」と聞いたらやっぱりそうだった。「えっ、学生さんなの? 1人旅? ふ〜ん珍しいわね」と彼女も私に興味を示した。「1人も気楽でいいけど、夜出かけるのはやっぱり怖くて。ニューヨークなんて面白そうなのに残念だな」と何気なく言ったら、「それだったら、今晩一緒に出かけましょうよ」と誘われた。「えっ、ホント? 行く行く」なんてことになり、彼女はさっさと店じまいした。といっても、ダンボール箱に板を乗せただけの簡単な「店舗」だ。
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| 初夏のセントラルパーク。週末は日光浴する人でビーチ並みの混雑。 |
ボーイフレンドの家に居候しているという彼女の住まいは、イーストビレッジのアルファベットアベニューからさらに東にあった。80年代前半のこと、もちろんガイドブックにイーストビレッジなんて載っていない。イーストビレッジなんていう言葉を聞くのも初めてだった。昼間から暇そうにたむろしている人たちがあちこちにいる。目つきのとろんとした人は麻薬中毒だろうか。かなりやばい地域だというのは雰囲気から十分に感じられた。
家の中に招き入れられて、初めて彼女は自分のことを話し始めた。私より年下に見える彼女が15歳も年上だと知ってまず驚く。離婚しているようには見えない。再び驚く。今は9歳年下のアメリカ人のボーイフレンドと同棲中とか。また驚く。私にとってはびっくりすることだらけの彼女だった。
しばらくしてそのボーイフレンドが帰って来た。デンバー出身で写真家だという。フリーとして好きな写真を撮っているだけじゃ食べて行けないので、コマーシャル用のスライドを撮っているそう。「久しぶりに日本語を話すんだから、2人で話していればいいよ。僕が簡単な夕飯を作るから」と、手際良くアボガド入りのオムレツを作ってご馳走してくれた。いかにもニューヨークのアーティストっていう感じ。2人の自然な関係にも感動した。
その晩はイランの劇作家が書いた「リトル・ブラックフィッシュ」という演劇を小さな劇場で見た。観光客なんて私以外にいない。簡単な英語で私でも理解できたこともあり、私はいたく感動した。鑑賞後も3人で町の中をフラフラ歩きまわり、宿に送ってもらったのは夜中の3時。フロントにいた黒人のお兄さんは私のチェックインを担当してくれた人で、深夜帰りの私を見てピュウと口笛を吹いた。「ヘイ・ベイビー、あんた友達なんて1人もいないって言ってたけど、こんな遅くまで1人で何していたんだい?」「さっきあなたと話した時は確かに友達なんていなかったけど、もう2人もできたの。おやすみ」という会話を交わしたことを覚えている。
ニューヨーク滞在中、私はほとんど彼女と一緒に(というか連れられて)深夜の地下鉄に乗ってみたり、ナイトクラブに行ったり、道端のカフェテラスでお茶を飲んだり、これ以上楽しめないという思いをした。だからニューヨークを去るときはすごく悲しくて、フィラデルフィアに向かうバスの中から、遠ざかって行くニューヨークの街並みを見てびぃびぃ泣いていたぐらいだ。遠ざかっていきながらも最後まで見えるのがエンパイア−ステート・ビルとワールドトレード・センター。新旧の映画に出てくるキングコングの気持ちが分かるような気がしたもんだ。
そのニューヨークに8年ぶりに戻ったら、彼女はなんとリトルイタリーの一角に店を構え、すっかりブティックの女主人になっていた。道端にダンボール箱を置いていたときの面影は微塵もない。私がニューヨークを去ってから間もなく2人が結婚したことは知っていたけど、なんせ彼女は筆不精だ。以前からやっていた皮細工で商売をしたくて店を出したという話は随分前に聞いた。全然客が来ず、店先のミシンを見てズボンの裾上げを頼みに来る人がいるということだった。だから大した店じゃないと予想していたのだ。広いロフトを自分たち夫婦で改造して店舗と住居を作ったと言うからびっくりだ。
8年前に随分と世話になっていたばかりか、ニューヨークで売り子の経験をするチャンスなんてなかなかないと思い、二つ返事で引き受けた。普通の人なら尻ごみするかもしれないけど、ここらへんが私のいい加減なところ。どうせ失業中だもん。彼女にしても、自宅や何千ドルもの現金、商品、ペットを素性のよく分からない旅人に預けるのだから度胸がある。だから私たちは波長が合うのかもしれない。
彼女たち夫婦がイタリアに行ってしまうと、それはもう大変だった。アメリカ人は退屈な人を極度に嫌う。店の売り子にしたって、気の効いた会話をお客さんと交わさなければならない。もちろん英語でだ。それで疲れる。
それに私には商品知識が全くない。「これは何の皮?」って聞かれて分からないものは、全部「牛皮でございます」って答えていた。売り子としての資質を問われるような質問をされるたびにヒヤヒヤする。
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| いつも一緒に店番をしてくれたサバ。すごい甘えん坊。 |
たまには「ここらへんのおいしいレストランを教えて」なんていう客も来る。そんなときに「お客さん、実は私もあなたと同じ旅行者なんですよ」なんて言えないもんね。友人に連れて行ってもらった店の地図を書いて教えてあげる。私って親切!
一番怖いのは万引き。客が何人も入ってくると、かなり神経を使う。一回やられてしまった。びしっとスーツできめたキャリアウーマン風の女性が何本かベルトを試着していたんだけど、ほかの客がバッグを買ってくれたので対応していたら、そのキャリアウーマン風が素早く店の外に出ていった。あとで調べたらベルトが2本なくなっていた。服装だけじゃ危ない客は見分けられない。
だから、友人からは「客には必ず声を掛けるように」とアドバイスされていた。日本じゃ店員に「いらっしゃいませ」なんて言われて返事をする人はいないけど、アメリカでは話しかけられたら返事をするのが当たり前。コミュニケーションをすれば、悪いことをしづらくなり、万引き防止に役立つというわけ。見ていると、日本人の買い物客は『何か売りつけられるのではないだろうか』と思うのか、ひたすら店員とのコミュニケーションを避ける傾向がある。これはまずい。日本の文化を知らない人だったら『こっちが挨拶しているのに無視するなんて、良からぬことをたくらんでいるのでは。万引きかも』と思われてもしょうがない。
毎日がこんな調子でハラハラ、ドキドキの連続だった。その反動か店を閉めるとお腹はペコペコ、体はぐったりの毎日。「あ〜お腹すいた」なんて1人でブツブツ言いながら冷蔵庫をガサゴソすると、犬1匹と猫2匹が全速力で飛んできて、私の足元で銅像のようにじっと座って私を見上げている。「しょうがないなぁ」とひとり言をいいつつ、先に犬と猫に餌をあげる。自分はまずコーヒーでも飲むか、なんてコーヒーを入れると、さぁ飲もうという時になって犬が「ウンチしたいよ踊り」を始める。「はいはい散歩でございますか」と外に連れ出さなくてはいけない。
留守番中、近所の人には随分世話になった。「釣り銭用の小銭は足りてる? 両替の必要があったら言ってくれよ」なんてしょっちゅう様子を見に来てくれたり、犬用の肉を持ってきてくれる人もいた。裏に住んでいるピピリおじさんはマフィアに顔がきくという人で、「困ったことがあったらいつでも来な」と言ってくれ、心強かった。そばに住んでいる大学講師の女性と夜ご飯を食べに行き、「彼との仲がうまくいかないの」という悩みを聞いてあげたこともある。
日本人との付き合いも随分あった。ボストンにいる友人は私が「あのバッグはイタリア製でハンドメイドです。こちらは西ドイツ製ですけど、オーナーが直接買いつけてきた1点ものなんですのよ」なんて言っている姿を見物しにきて、お腹を抱えて笑い転げていた。言葉が不自由ながら一生懸命売りつける私に「けっこうやるじゃん」と感心もしていた。
香港での友人(南米に行く前の私は香港で働いていた)が「休暇でジャマイカに行った帰りなんだけどここの住所をもらったから寄ってみた」と訪ねてくれたときは本当に嬉しくて、なけなしのお金をはたいてご飯をごちそうしてしまったくらいだ。友達の友達が家族で郊外バーベキューに出かけるとき、私も連れて行ってもらったりもした。
約1ヵ月後に帰って来た友人夫妻はびっくり仰天。友人が店に出ているときよりも、売り上げがはるかに多かったという。このままニューヨークにいたいなら、スポンサーとして労働ビザを申請してあげてもいいし、好きなだけ居候生活をしてくれとまで言ってくれた。ちょっと迷ったけど、香港で約束があったし、その後は日本で仕事を見つけて働こうと思っていたところだったので断った。
というわけで、2回度目のニューヨークではなぜか売り子になってしまったけど、またまた楽しい経験をすることができた。私にとっての旅は「どんな人に会うか」という点に尽きる。観光地めぐりもいいけど、そのうちに飽きてくる。いくら由緒ある建物でも、有名な遺跡でも、美術館や美しい山々だって、限度を越えるとすべてが同じように見えてしまい、どれがどれだか分からなくなっちゃう。私のメモリー容量はそれほど大きくないのだ。
でも人間はさまざま。当たり前だけど1人として同じ人はいない。日本でじっとしていると絶対に会えないようなおもしろい人に旅先では会うことができる。そして「人間に生まれてよかった」としみじみ感じてみたりする(おめでたすぎるかも)。旅先で会う人が私の「元気の素」なのだ。次から次へとおもしろい人に出会えるニューヨークは、私の旅の原点ともいえる。世界でいちばん好きな街だ。
(おまけ)彼女は96年に店を閉めて引っ越した。私は帰国後に就職した会社から95年にニューヨークへ派遣された。その時の話はそのうち別項で。
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