「南米=累積債務=インフレ」。南米について、こんな先入観がいつのまにか私の中に潜んでいた。実際に旅行をする場合、私のような単なる旅人は累積債務とは直接関係がないけど、インフレは旅の仕方に大きく影響してくる。南米のインフレの厳しさは私の想像の範囲をはるかに超えていた。盗難などの犯罪が多いのも、一因は経済状況にあると思う。ただ、外国人の旅行者にとってみればドルの価値があがることになる。そういうわけで私は結果的に「インフレ天国」ともいえる時期に南米を旅行したのだった。●コイン・切手診断法
旅人にも簡単にできる南米経済診断法がある。私は勝手に「コイン・切手診断法」と名づけた。つまり、インフレが激しい国は高額紙幣が多く出まわっていて、コインは流通していない。切手も同様だ。インフレの激しい国から日本へ絵葉書を送るのに切手を貼るとすれば、大量に必要。絵葉書の写真の面を埋め尽くすほど切手を貼らなくてはならない。だから、南米では金額を記した色気のないスタンプを押して切手の代用としている国が多い。
コインの流通している国は、国際郵便用の切手もだいたいある。日本への絵葉書が切手2枚貼るだけで出せるような国は、比較的健全な経済状態にあるとみた。1990年前半の段階でコインと切手があったのはチリ、ボリビア、パラグアイである。ただし、ボリビアは85年に年率8000%のインフレを記録しており、いつ状況が変わるか分からない。私が旅行した時点ではブラジル、アルゼンチン、ペルーがインフレ三大国だった。
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●ブラジル
突如導入されたインフレ対策のため、えらい目に遭った。私がブラジル入りする少し前、3月15日にコロル新大統領が就任した。彼は驚異的なインフレへの対策として、全国民の預金を一部凍結すると発表。民間の商業銀行も2日間閉鎖された。マネーサプライは一気に縮小し、両替しようにも「お金がない」と断られることが多い。大統領交代を境に1ドルは8000新クルザードから4000まで落ち込んでしまった。外国人旅行者にとっては、物価が2倍になったとの同じだ。
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ショック療法の一環として、再びデノミを実施することも決まった。ブラジルはデノミ王ともいえる国で、これまでクルゼイロ、クルザード、新クルザードときたわけだが、またクルゼイロに戻すらしい。面倒だ。だいたい今でさえ、前通貨のクルザードはもちろん、2代前のクルゼイロ紙幣も出回っている。クルゼイロのゼロを3っつ取れば、新クルザードとして使える。たとえば10万クルゼイロは100新クルザードに等しい。
リオデジャネイロの市バスに乗ったとき、車掌がくれたおつりは輪ゴムで束ねたクルゼイロ紙幣だった。数えるのが面倒でそのまま受け取った。どうせ数十円の話だ。今後は新旧のクルゼイロとクルザード、合わせて4種類が出回るのだろうか? 考えただけで頭が痛くなりそう。
●アルゼンチン
アルゼンチンに最初に入ったのは90年の2月24日で、1ドル=4500アウストラルで両替した。ここはパタゴニア地方の田舎町で、都市部ではもっとレートがいい(ドル高)と聞いた。パタゴニアは移動が難しいため、チリとアルゼンチンを往復しながら南下したが、世界最南端の町ウシュアイアに着いた3月1日、1ドルは6000アウストラルになっていた。
北に戻り、アコンカグアに近いメンドーサというワインの産地に着いたのが3月14日。1ドルは4550アウストラル。この町では両替しようとしたら昼休みで両替屋がどこも閉まっていて、昼寝の後で再び両替しに行ったら、わずか数時間の間に4850アウストラルになっていた。
ブエノスアイレスでもレートはだいたい同じだったが、アルゼンチンの全人口の3分の1を擁する大都会だけあって、両替屋もすごく多い。1軒ずつレートをチェックして歩き、一番レートの良かったところに戻ったら、10分ほどのうちにもうレートが変わっている。骨折り損に肩でぜいぜい息をしたことも一度ではない。 国民の定期預金は凍結されたあげく国債に振りかえられ、額面価格の20%の水準で取引されていると聞いた。
ただし、旅行者の私にとっては、インフレは歓迎すべき現象だった。ドルを基準に計算すれば、ガイドブックの情報の半額で旅行できたからだ。たとえば、ブエノスアイレスの中心部の安宿は部屋にシャワーとトイレがついていて4ドルだったし、分厚いステーキだって数ドルで食べられた。
●ペルー
ペルーは最も壊滅的な状況だった。ペルー入りした1月末は1ドル=1万2500インティで両替した。私の使った最高額紙幣は1万インティ札。日本への絵葉書の郵送料は7500インティである。
南米の南半分を一周してペルーに戻った4月半ば、1ドル=2万7000インティになっていた。それから2週間ほどで3万インティを突破。5万インティ札と10万インティ札がお目見えした代わり、10インティ札は誰からも見向きもされず、道で踏まれてもみくちゃになっている。
それでも日本への絵葉書郵送料は据え置かれていたが、ある日なんの予告もなく1万3500インティと、2倍近く値上げされた。すべてがこの調子である。ペルーのインフレ率は年3000%近い。「月間3ケタ、年間4ケタのインフレ率は当たり前」というカメラ屋の宣伝文句のような勢いの良さでインフレは進行して行く。 すごく不思議だったのは、このハイパーインフレにもかかわらず、人々の暮らしがジェットコースター的に変化していないことだ。都市部の人は服装もかなりいい。貯金してもしょうがないから使ってしまうのかもしれない。「人生楽しまなきゃ」というケ・セラ・セラ的なラテン気質も根底にあるのだろう。それにしても人々の暮らしはどうなっているのだろう? インフレに見合う昇給はあるのだろうか、と思っていたら、日本大使館の人が教えてくれた。ペルーでは完全就業者は労働人口の30%しかいない。道端で行商しているような人も含めれば、失業者は70%にも達する。そもそも昇給率なんて存在しないのだ。
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私の旅はちょうどペルーの大統領選の時期に重なった。当初、全く無名だったアルベルト・フジモリは農村部を中心にじわじわと支持を広げ、世界的に有名な作家のマリオ・バルガス・リョサと決選投票で大統領職を争うまでになった。南米の後に立ち寄ったニューヨークで、フジモリの当選を知った。
「ペルーの難局をフジモリ新大統領はどう乗りきるのだろう?」などと柄にもなくシリアスに悩みながら日本に帰国したら、「日系人としては世界で初めての大統領」とかで、日本は限りなく明るいフジモリ・ブームの真っただ中だった。たまげた。ペルーの日系人社会の間では、「フジモリが経済運営やテロ対策に失敗すれば、日系人全体が非難の対象になりかねない」として、フジモリを支持しない人も多かったと聞いていたから、なんだか複雑な心境だ。 →3へ進む
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