●30時間の長旅
| ウルムチからカシュガルへは99年の12月に全線開通した鉄道で行く。ウルムチの旅行会社には「その路線は込んでいるから手配が難しい」と切符の手配を体よく断られてしまった。しょうがない。自分で駅に行く。こういう時、ほかの外国人旅行者に比べて日本人は有利だ。「五月二十四日、喀什(カシュガルのこと)、硬臥下段 1票」と書いた紙を差し出せば、中国語を一言も話さなくても、お目当ての物を買える。中国人民に混じって行列するのはやや不安もあったが、列に割り込もうとする人を警備員が厳しくチェックしては怒鳴っていたので、心配したような混乱はなかった。199元払う。 |

|
| ウルムチ駅の切符売り場に並ぶ人たち |
 |
列車は午後3時10分に出て、翌日の夜8時半にカシュガルへ到着する。列車の横腹には「民族団結号」というプレートが入っていた。中国の東西問題は深刻だ。上海など沿岸地域が急速に発展する一方で西部の開発は立ち遅れているし、新疆ウイグル自治区で多数派を占めるウイグル族の間では漢族による支配への不満もくすぶっている。そこで中国政府が打ち出したのが「西部大開発計画」。カシュガルとウルムチを結ぶ鉄道の開通もその一環だ。「民族団結号」という名前は、ウイグル族と漢族が団結して西部を開発しようじゃないか、ということらしい。
|
| 真ん中の赤い文字は「民族団結号」と書いてある |
| 列車は時間どおりに発車。約30時間の長旅が始まった。寝台は上中下三段が向かい合わせになっていて、その6人ごとにマホービンが1つ置いてある。乗客はみなフタ付きガラス瓶(日本のインスタントコーヒーの瓶みたいな感じ)を持参。お茶の葉を瓶に入れてマホービンからお湯をつぎ、何回でも湯を足して飲んでいる。私は成田−香港間の飛行機からネコババしたコーヒーカップを使ってティーバックのお茶を飲み、持参の食料を食べた。言葉が通じないせいもあるけど、回りの乗客は私にほとんど関心を示さない。私がカメラを取り出すとチラチラッとこっちをみているぐらい。あんまり好奇心は強くないのかもしれない。 |

|
 |
| ウルムチ駅で列車に乗り込むところ(左)。車内の様子。同じ車両に外人旅行者はいなかった。 |
夜は11時に消灯、朝は7時半に車内放送の音楽が鳴り始めた。あたりは一面砂漠だ。景色は単調で、暇を紛らわせるものがない。合図でもあったかのように乗客が一斉に動き出し、2重になっている窓ガラスを閉め始めた。そういえば、車内がほこりっぽい。風が出てきたんだろうか。私も慌てて内側の窓を閉め、カーテンまで閉めたけど、窓枠やテーブルの上には既にうっすらとほこりが積もっている。コーヒーカップの中も汚れてしまった。やっぱフタ付きの瓶じゃないとダメだ。薄汚れた窓ガラスごしに1人の男性がひざまずいて一心不乱に祈っているのが見えた。周りには砂漠以外に何もない。中東の風景を見ているような不思議な感じがした。
●車中の友を発見
11時前にアクス駅に到着。ここでやっと英語を話す人を見つけた。というか、向こうから話し掛けてきてくれた。張さんと林さん。西安に住む人民解放軍の人だった。軍人とはいえ2人の仕事は先生。張さんは哲学、林さんは経済学を教えているという。
 |
張さんが「現代日本の偉大な哲学者の名前をはっきりと思い出せない」というので、紙を出して覚えている漢字を書いてもらったら「大池」だって。ひょっとしたらと思ったら、やっぱり「池田大作」のことだった。う〜ん。なんというべきか。このおかげで、片言の英語を話すよりも漢字の筆談の方がコミュニケーションが簡単だということが分かってきた。「年は?」「仕事は?」「家族は?」「どこに行くの?」そんな筆談を交わしていたら、それまで無関心そうにしていたほかの漢族の乗客たちも集まってきて、紙を奪い合うようにしてみんなで読んでいる。ウイグル族は漢字ではなくキリル文字を使うから筆談には全く関心なさそう。私の向かいに座っていたウイグル人のお兄さんは、人ごみを避けるかのようにどこかに行ってしまった。どこが「民族団結号」なんだか。
|
| 車内販売で買ったお弁当。量が多くて残してしまった |
ちなみに張さんと林さんに中国でお勧めの観光地を聞いてみたら、まず「ラサ」という答えが返ってきたのでびっくり。しらばっくれてラサは外人に開放されているの?と聞いてみたら、2人とも「オープン、オープン、ゴー」だって。
にぎやかに盛り上がっているところへ、車掌の女の子がやってきた。大切そうに小瓶を持っていて「これに何が書いてあるの?」と聞いてきた。それはクリームの瓶で、どうみても中国製なのだが、ラベルは日本語で「痩せるクリーム」とか「お肌がスベスベに」などと、うさん臭いことが書いてある。「減肥、美肌」と書いてあげたら大喜び。またしても最初から「名前は?」「年は?」「仕事は?」という会話が始まった。
| 私が「カシュガルからパキスタンに行く」というようなことを書いたら、彼女はびっくり。ブツブツと何か言ったかと思うと、ハッとしたようにあたりを見まわした。誰も聞いていないと思ったのか安堵の表情を浮かべ「でもパキスタンは回教徒の国ではないか」と書いてきた。要するに、イスラム教徒を差別するようなひとり言が思わず口をついて出てしまったため、ウイグル人に聞かれたのではないかと回りを気にしたらしい。「民族団結号」に乗務している車掌がこれでは、漢族とウイグル族の団結など遠い夢という感じだ。「あなたは回教徒か」「違う。仏教徒だ」「じゃあ、なぜパキスタンに行くのか」「パキスタンには昔は仏教徒もいたから仏教遺跡がある」「仏教遺跡ならインドの方が有名だ」「インドには昔住んでいたことがあるけど、パキスタンには行ったことがない」「なるほどそれで分かった」 |

|
| 車内のトイレはお世辞にもキレイとはいえないが、これでも掃除の直後 |
なんて書くといかにもスムーズにやりとりしたみたいだけど、いいかげんな筆談なのでこれだけ会話するのも大変だった。そもそもパキスタンに行くのはカラコルム・ハイウェーをたどる旅をすることが目的で、仏教遺跡は全く関係ないんだけど、宗教の話が出てきたために、会話がなんか変になってしまった。そもそもカラコルム・ハイウェーなんて漢字で書こうったって書けないもんね。

|
筆談のおかげで2日目の午後を楽しく過ごし、午後8時すぎに終点のカシュガル駅に到着した。定時よりも少し早い。中国は全土で時差がないため、西の最果てのカシュガルは午後8時すぎというのにまだ夕方になりかかったという感じ。人民解放軍の張さんと林さんは偉い人らしい。改札のところに張さんと林さんの名前を書いたプラカードを持った人が出迎えに来ていた。張さんは、迎えに来ていた解放軍の人に何やら言っていたかと思ったら、私について来るように言った。宿まで送ってくれると言う。そもそもカシュガルの駅は新しくできたばかりだから、街の中心からどれぐらい離れているのか、どうやったら中心部に出られるのか知らない。ありがたく甘えることにした。 出迎えに来た人は安宿のチニワク賓館なんて知らないみたいで、私のガイドブックの地図を緊張した面持ちで眺めていたが、迷いながらもどうにかたどりつくことができた。 |
| 夜の8時半前に喀什(カシュガル)駅に到着。出札で切符を渡さなくてはならない。 |
人民解放軍なんていうと、無表情のまま行進しているようなちょっと怖いイメージがあったけど、彼らはとても普通で優しいお兄さんたちだった。張さん、林さ撮んには途中で撮った写真を送ることを約束し、固い握手を交わして別れた。彼らは明日ヤルカンドに発つそうだ。→2カシュガルの毛沢東へ進む
|