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その7.恩人はホームレス?
     
     

 ニューヨークの天気は1年中気まぐれだ。その日は5月半ばだというのに、妙に蒸し暑い土曜日だった。ジョギングを始めたばかりの私は、いつものようにマンハッタン14丁目のアパートから34丁目に向かってパークアベニューを走り始めた。片道2キロといったところだけど、わずか1カ月前は数ブロック走ったら息が切れて歩いていたから、これでも随分進歩しているのだ。

 走り始めてから気が付いた。その日に限って何も口に入れていない。仕事帰りに走る平日は最低でもオレンジジュースを飲んでいたし、週末だったらベーグルぐらい食べてから走り出すのに。その日はいつもより起きるのが遅くなってしまったこともあって、そのまま飛び出してしまった。でも、いつもよりも体が軽いみたい。特に問題はなさそうだ。そのまま走り続けたけど、異変はすぐにやってきた。

右奥のタワーの21階に3年近く住んでいた。(私の旅のスタイルとミスマッチなのは会社から住宅手当が出ていたから。)

 32、33丁目当たりで信号待ちをして、青になったからさあ渡ろうと思ったら、なぜか足が前に出ない。『あれ、おかしいなぁ』と、頭は冷静で他人事のような気がするのに、金縛りにでもあったかのように体が動かせない。その場にしゃがみこんでしまった。何が起きたのか最初は全く分からなかった。 

 ジョギングを習慣にしたのは軽い思い付きだった。せっかく会社からニューヨークに送り込まれて3年間すごすというのに、私ときたら日本とたいして違わない暮らしをしていた。会社に行けば日本食のお弁当屋さんが来るからそれを買って食べ、夜は先輩たちに誘われるまま食事。それもなぜか日本食レストランばかり。悪いときには日本人向けカラオケ屋まで付き合うはめに。日本人との付き合いが濃密すぎる。旅行と生活は別次元だと分かっているとはいえ、何かが違うと思っていた。

 そんなとき偶然ニューヨークシティ・マラソンのことを知った。申し込みは先着順で、だれでも出場できるという。何時間掛かっても構わないらしい(実際には6時間ぐらいで交通規制が解除されるので、それ以降は歩道を走らなくてはいけない)。ニューヨークとジョギングか、うん、これだ! 単純な私はすぐに飛びついた。

週末のセントラルパークは走る人、こぐ人、すべる人でいっぱい

 ニューヨークに赴任してすぐ久しぶりにセントラルパークに行ったら、いるいる、老若男女が走っている。まるで何かにとりつかれたかのように一心不乱に走っていて「ありゃ、一種の新興宗教だね。ランニング教か」などと陰口をたたいていた。まさか自分が『入信』することになろうとは。なんとも私らしい展開だ。

 とまぁ、思いつきでジョギングを始めただけあって、私は脱水症状のことなんて全然知らなかった。頭だけは冷静で、「そういえば箱根駅伝なんかで、ランナーが突然、夢遊病者のようにフラフラになったことがあったな。レベルは全然違うけど、これだったのか」などと考えをめぐらしてはみるのの、どうにもならない。10分たっても立ち上がれる気配もないことに段々あせっていた。しばらくして50代ぐらいの男性ジョガーが前を通った。「大丈夫?」と声をかけてくれたけど、こちとら遠慮を美徳とする大和撫子。「ええ、ちょっと休めば大丈夫。ありがとう」。なんて返事をしてしまう。

セントラルパークにはランナー用のインフォメーション・ブースがある

 しばらくすると中年の女性が心配そうに私の顔をのぞき込んだ。「どこか悪いの? 家に帰れる?」 これもまた無理に笑顔を作って「しばらく休んだら、ゆっくり歩いて帰るから大丈夫。家は近いの」と言っちゃった。

 ところが20分ぐらいたっても立ち上がれる感じがしない。ヤバイな〜。土曜日の朝7時すぎのパークアベニューなんて、歩いている人はそんなにいない。しょうがない、次に声をかけてくれる人がいたら、その人に助けを求めようと決めてじっとしていたら、頭上で「どうしたの?」と声がした。

 顔を上げたら、ボロボロの長いスカートをはいた黒人の女性が立っていた。両手にデパートでくれるような袋を2つずつ、計4つ持っている。目は白い部分が黄色っぽく濁って、さらに充血している。顔は何日も洗っていないみたいだし、髪の毛はボサボサ。どうみてもバッグレディ(全財産をショッピングバッグに入れて持ち歩く女性)といわれているホームレスの人らしかった。

 ホームレスだろうと何だろうと、この際構っちゃいられない。「ジョギングしていたんだけど、脱水症状になっちゃったみたいで動けないの」と言ったら、「タクシーで帰りなさい」だって。私は1セントも持たないで家を出てている。両手を開いて何も持っていないことを見せた。彼女は「OK」と短く言い、私が何も言わないうちに道に大きく乗り出してタクシーを止めた。 私は彼女の手を借りてタクシーに乗り込み、次いで彼女も隣に乗り込んできた。アパートにさえ着けば、タクシー代はどうにかできるだろうと思った。

 
イーストビレッジのアルファベット・アベニューを通り越した東端にあるイーストリバーパークはお気に入りのジョギングコース

 自分の住所を告げてタクシーが走り始めてからあとのことはよく覚えていない。隣に座っている彼女からは酸っぱい匂いが漂ってきて『あぁ、この人は何日もお風呂に入っていないんだ。正真正銘のホームレスなんだ』と思ったことだけは覚えている。アパートに乗り付けたら、タクシーの扉を開けたドアマンは、私の顔を見るなり「どうしたの?」と大きな声を上げた。余程ひどい顔をしていたに違いない。彼に助けてもらってロビーのソファに横になり、グラス1杯のお水を持ってきてもらった。

 しばらくして正気を取り戻した。あたりを見回すと、あのホームレスの女性もタクシーもいない。なのにドアマンはタクシー代を払っていないという。ということは、彼女が払ってくれたか、あるいは事情を察したタクシーの運転手が「いらない」と言ってくれたのどちらかだ。

 どちらにしてもえらいことだ。しばらく部屋で休んでから20ドル札を握り締めて現場に戻ってみた。タクシー代はせいぜい数ドルだろうけど、取りあえずお礼の意味を込めてそれぐらい渡そうと思ったのだ。彼女はいなかった。ホームレスのおじさんがいたので聞いてみたけど「知らねぇな。このへんじゃ、そんなヤツ見かけたことがない」。

同じくイーストリバーパークから。手前がマンハッタンブリッジ、奥がブルックリンブリッジ

 しばらく毎日のように20ドル札を握り締めて通い詰めたけど、結局彼女との再開は果たせなかった。私の走る距離が長くなるにつれ、ジョギングコースは変わってしまい、平日はイーストリバーパークかハドソン川沿い、週末はセントラルパーク周回(1周約10キロ)をトコトコ走ることに。それでも、どこかで彼女に会えるかもしれないと思い、20ドル札だけはリストバンドの中に忍ばせていた。それから約5カ月後、初めてのフルマラソンを完走できたのは、彼女のおかげだと思っている。どこの誰だか知らないけれど、本当にどうもありがとう


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