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その5.ザンジバルの女将
      
      

 私はいわゆる日本人宿が苦手だ。どうも閉鎖的というか排外的というか、それほど居心地の良い空間とは思えない。そんなわけで余程の長旅でない限り、進んで日本人宿に泊まったことはない。例外がタンザニア本土から数十キロ沖合いに浮かぶ島、ザンジバルだ。

ザンジバル東海岸パジェのビーチ

 そもそもザンジバルに行きたいと思ったのは、その昔よく聞いていたビリー・ジョエルの歌に「ザンジバル」というのがあり、そのせいで「かつて奴隷貿易のメッカだった島」ということを知って興味を持ったから。旅行の計画を立てていた時、「地球の歩き方」で東海岸のパジェに日本人女性が経営するゲストハウス「パラダイス・ビーチ・バンガローズ」があることが分かり、どうしても行きたくなった。これまでに泊まったり聞いたりした日本人経営の宿は、日本人が現地人と結婚したり、夫婦で現地に移住したケースがほとんど。日本人の女性が1人でタンザニアに乗り込んで?宿を経営しているというのにすっごく興味を持った。

 パジェへはザンジバルの中心地ストーンタウンからダラダラ(乗り合いトラック)の9番に乗って約2時間。荷台には23人の客が乗っていて、私の足の上には誰かのズタ袋が乗っている。しびれた足を動かすこともできない。

 私の隣は1歳にもならないだろう男の子を抱いた若いお母さん。道路の舗装が途切れてデコボコ道に入ったら、その子供がいきなり吐いた。お母さんは強い。私は身動きもできない状態だというのに、バッグから着替えを出して子供を着せ替えた。子供ときたら泣きもせず、一通り吐いたら私のわき腹に頭を押し付けてて寝てしまった。外はすごい土ぼこりで、新聞紙を頭から被っている人もいる。

ザンジバルのダラダラは日本の中古トラックが多い。これも「○○プロパン」とドアに書いてある

 パジェで降りたのは数人だけ。そばにいた男の子に道を聞いてさっそくパラダイス・ビーチ・バンガローズに向かうけど、経営者の日本人女性は不在でしかも満室。ついていない。男の子が「隣にダメ・バンガローがある」というから、日本語で「ダメ」なバンガローなのかと思ったら、本当に「ンダメ・バンガロー」というところだった。確かにアフリカでは「ん」で始まる言葉がある。仕方なくンダメにする。でも、とくにここがダメということはなく、食事は結構おいしかったし、部屋も貧乏旅行のバックパッカーにしては、まあまあだった。

右手にパラダイス・ビーチ・バンガローズがある。お隣のンダメまでビーチを歩くこと10分弱

 2日待ってようやくパラダイスにチェックインできた。ンダメに来ていた電気がこちらにはなくてランプ。客室はバンガロー7棟だから、すぐに満室になるのもしょうがないかも。庭にテントを張って泊まっている日本人の男の子もいる。夕食の時間になり、パラダイスの人気の秘密がようやく分かった。カリフラワーのマヨネーズ和えと貝の前菜に始まり、メインは魚のホワイトソース和えにほうれん草を添え、グリンピースご飯、最後にバナナのチョコレート・ソース掛けと、こんなところでフルコースの食事をお箸で食べられるとは思わなかった。しかも、ランチョンマット、食器、お箸とすべて趣味がいい。ザンジバルの田舎にいることを忘れてしまいそう。ランプの光で食べるのもロマンチック。ンダメの食事も決して悪くないと思ったけど、満室にならない理由が分かった。

 経営者の三浦砂織さんに少し話を聞くことができた。北海道出身で90年の春までラジオ局のアナウンサーをしていたという。旅好きが高じてケニアでスワヒリ語を勉強。ザンジバル出身の先生に「ザンジバルはいいところだ」と聞いて実際に旅行で来てみたら、いっぺんで気に入ってここに住みたいと思ったそう。そもそもはレストランが少ないからやったらどうかと勧められたとか。物件を見て歩いて92年7月の開業まで1年7カ月かかったという。

パラダイス・ビーチ・バンガローズの三浦さん

 一番大変だったのは政府との折衝と人間関係で、政府との約束で10年間で10軒のバンガローを建てる事を約束し、道路を作るのに半年掛かりで認可獲得した。従業員との関係も難しく、備品がなくなることもあったりして村長に相談し、信頼できる人を紹介してもらってスタッフに迎え入れ、今では問題がなくなったという。女1人でよくここまで築き上げたなぁとそのバイタリティーには感心する。

夜明けのパジェ。海草を集める女性が2人。ビーチは干満の差が激しく、干潮時は水平線のかなたまで海水が干上がってしまう。

 本人は「頑張れば頑張った分だけストレートに返って来るのが楽しい」といたって大らか。「ここに一生住もうとも思わない。10年後に10軒のバンガローを経営するという政府との約束を達成したら、誰かに譲ってもいいかも」と、自分の境遇にもそれほど執着心はなさそう。「人間、その気になれば、どこに行ってもどうにかなるもんだから」ということで話は盛り上がった。自然体の素敵な女性で、パジェに来て彼女に会ってよかったな、としみじみ感じた。 

 ザンジバルに行ってから3年たった。三浦さんがタンザニア政府に約束した10年もすぎた。彼女はまだパジェにいるんだろうか? 

(おまけ)2003年1月に現地に行った読者によると、三浦さんは今でもパジェにいるそうなので、関心のあるかたはぜひ訪ねてください! ただし、アメリカとイギリス政府が1月半ば、ザンジバルでテロの可能性があるとの警告を出しています。


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