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| 3.20年ぶりの再会 | ||||||||||||||||||||||||||||
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まず、ラングーン川の反対側に渡る。20年前は手漕ぎの渡し舟に乗ったものだが、そんなものは廃止されていた。というか、見ていると川を渡る船はどれもエンジン付き。しかも、外国人が乗れるのはいっぺんに何百人も乗れるフェリーになっていた。外国人料金で往復2ドル。別室で切符を買う。手漕ぎの渡し舟に1チャット未満で乗った私は生きた化石か? 20年という時の重みを感じる。まあ、ビルマの平均寿命は50歳代らしいので、私はちょっとしたおばあちゃんの範疇に入るのだろう。複雑な気分だ。
50分ほどでジープが停まり、乗客が降り始めた。ここがタンテーだという。ホコリっぽい町なのは昔と変わっていない。それにしても人が多い。昔はもっと田舎の村って感じだった。それに今じゃ外人見物をしようと子供があとをついてくることもない。昔は20〜30人の子供を引き連れて歩いたもんだ。
ビルマ語の「近い」を一生懸命に指差した結果、近くの診療所を教えてもらう。サイカー(サイクルリキシャー)のお兄さんがタダで乗せていってくれた。着いた途端、お世話になったところじゃないことが分かってガッカリ。でも、町内の同業者の動向を何か知っているかもしれない。お医者さんは食事中だというので門の外で待つ。 しばらくして出て来たお医者さんはやはり違う人だった。中に入るように言われ、診察室で人探しをしていることを一生懸命説明する。お医者さん「それじゃ、足をみせなさい」。えっ、違うんだってば。「あの〜、犬に噛まれたのは20年も前の話なんです。その時に治療してくれたお医者さんを探しているんです」と必死に説明したら、驚いた顔でしげしげと私を見た。
お医者さんは「それにしても物語みたいな話だねぇ」と言ってしばらく考えてから「その医者は英語を流暢に話す人だった?」と聞いてきた。う〜ん、その当時の私は英語がほとんど話せなかったから、誰でも流暢に話しているように聞こえた。メガネをかけていたことは覚えている。そしてお医者さんの家がバス乗り場にかなり近かったのも間違いないと話した。
20分ぐらいだっただろうか、女性ばかり3人が入ってきた。若い女性が2人、50代とおぼしき女性が1人。その女性は、犬に噛まれた日本人の女性旅行者がやってきて、医者をしていた自分の夫が治療したことを覚えていた。というよりも、彼女も手伝いの看護婦としてそばにいたという。私は奥さんのことを全然覚えていなかったのに。若い女性2人は姪御さんで、英語をあまり話さない奥さんと私との間の通訳を務めてくれた。 彼女はとにかくびっくりしていた。ガイドブックに「ヤンゴン近郊の町」として出ているとはいえ、外国人観光客がそれほど来るとは思えないような田舎町。そこへいきなり「21年前に犬に噛まれた時にお世話になったものです」と訪ねてくる人間なんて、ほとんどエイリアンみたいなものだ。話しているうちに、彼女が驚いているのは、私が訪ねてきたという事実よりも、助けてもらったことを21年間も忘れていないということなのだと分かってきた。その昔、いただいた抗生物質の飲み薬は瓶とともに私の宝物になっていることを話したら、涙を流して喜んでくれた。こっちも泣いた。お医者さん本人にも伝えたかったのに、時の流れは残酷だ。
だいたい、我が家のテレビは19インチだし、DVDだってパソコンについているだけで、テレビにはいまだにビデオがつながっている。お医者さんに会えたら渡そうと思って日本からポータブルラジオと浮世絵カレンダーを持っていったのだが、恥ずかしくなっちゃってラジオは渡せず、カレンダーだけあげた。もっと気の効いたものを持参すればよかったと後悔してもどうにもならない。 数時間を昔懐かしい家ですごし、何か話しては泣き、次の瞬間には笑い、昔からの親戚と一緒にいるような錯覚に陥る。家族の写真を何枚か撮って満ち足りた気分でラングーンに戻る。とても喜んでくれ、本当に行って良かった。今回はちゃんと住所を書いてもらったから、日本に帰ったら写真や手紙を送ろう。
話は終わらない。奥さんと20年ぶりの再会を果たした翌日から1週間ほどビルマ国内を旅して回り、ラングーンに戻ってきた。いよいよ明日は日本に帰国するという夕方、夫と一緒にラングーン川の夕日を見に出かけた。お医者さんの家に行ったのと同じ渡し船に乗って川の反対側に渡る。しばらくブラブラして写真を撮り、帰りのフェリーに乗ろうとフェリー乗り場に向かって歩いていると、若い男性があらたまった丁寧な英語で声をかけてきた。
話をよく聞いてみたら、亡くなったお医者さんの末の息子さんだった。私が先日会った従姉妹の1人と一緒にラングーンからタンテーに帰るところで、その従姉妹が私を見かけて「あ、あの人はこの間訪ねてきた日本人だよ!」と言ったので、人ごみを掻き分けて船着場まで追いかけて来たという。人口400万とか500万人とかいわれる大都市のラングーンで、こんな偶然もあるんだね。これも何かの縁だと感動した。見かけから想像すると、彼は私が犬に噛まれたころは赤ちゃんだったに違いない。 彼によると、父親のお医者さんが亡くなったのは96年。それ以来、お母さんはふさぎこみがちだったけど、私が訪ねていったのを本当に喜んでいたそうで、すごく感謝された。私がいきなり訪ねていったことは、一族の間で大ニュースになっているとか。ビルマにも家族ができたみたいに感じ、なんだかとてもシアワセな私だ。ビルマの話はこれでおしまい。 |
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